M1村田宏彰公認会計士事務所
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映画『ストレイト・ストーリー』を見ました。
アルヴィン・ストレイトという1人の老人が、兄が倒れたとの電話で、兄に会いに旅に出ます。
時速8㎞のトラクターで。
米国アイオワ州からウィスコンシン州の560㎞を、野宿しながら6週間もかけて。
2本の杖が無いと歩けず、眼が悪いため車の運転もできないアルヴィン老人にとって、誰にも頼らず、自分でできる方法は、家にあるトラクターでの移動しか無かったのでしょう。
車ならたった1日の距離をあえて自分のやり方にこだわるのは、彼自身の人生でどうしてもやり遂げなければいけないことだと、思っていたからに違いありません。
子供の頃のように、一緒に星を見たい。
ちょっとしたいさか諍いで、10年以上仲違いしていた兄とこのまま死に別れしたくない。
人々の嘲笑と家族の心配をものともせずに、その最後の夢を実現すべく、自分の名前の通り、まっすぐに向かう老人の目は、少年のように輝いています。
人は誰でもやり遂げなくてはならないものがあるが、自分はそれを持っているだろうか。
そして、それを自分の力でやり遂げる意志を持てるだろうか。
思わず、そう自問せざるを得ません。
旅の途中で丘にさしかかった時、トラクターが故障して立ち往生したアルヴィンは、「兄のところまで車で送ろう」と声を掛けられます。
「気持ちは本当に嬉しいよ。だが自分でやり遂げたいんだ」
「いいかい、アルヴィン。この先は、まだ丘が続くんだよ。また故障したらどうする?」
「だが、どうしても自分だけの力でやりたいんだ。ぜひ最後までやり遂げてみたい。志を貫きたいんだよ」
そしてアルヴィンはまた走り始める―――――。
自分の可能性を賭けてやること。
それは、自分が生きた証しそのものです。
見事に自力でやり遂げて兄とまた星を見ることができたのは、アルヴィンにとって、さぞかし満足だったのに違いありません。
この話が実話であるだけに、深く胸をうちます。
兄の家に無事たどりつき、兄との再会を果たすアルヴィン。
「あれで来たのか?」
「ああ」
トラクターを見つめる兄の目に涙が・・・・。
体が不自由な兄にとって、やはり体が不自由な弟がやり遂げたことに、感動がひとしおだったのでしょう。
年を取れば、何もかもが減っていきます。
死までの時間・体力の衰え・巡ってくるチャンスの数・・・・。
全てが減っていく中で、本当にやりたいことを、1つか2つに絞らなくてはなりません。
若い頃のように、脇道にそれたり、道草をしている暇はありません。
「年をとるほど、失うものも大きいんだ」
アルヴィン老人の言葉です。
選択することは誰にでもできます。
本当に重要なのは、できるかぎり他人に頼らず、自分で出来る方法で、自分が選択したことを、最後までやり遂げることでしょう。
自分が決断したことにエネルギーを注ぎ、それ以外のことにエネルギーを浪費しない。
何かを選ぶということは、他の何かを捨てることです。
時間は有限です。
限られた時間の中で何をするかという姿勢こそが、重要なのです。
50~70才代の人には、人間的にすごく立派な人もいれば、全くそうでない人もいる。
生まれたときには同じだったはずなのに、どうしてだろう?
その以前からの疑問に対する1つの解答が、そこにはありました。
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