M1村田宏彰公認会計士事務所
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棋士の羽生(はぶ)善治(よしはる)氏は、どうしてあんなに強いのか。
通算勝率は約75%にまで達するという。
素人を相手にならともかく、プロを相手に、である。
他のプロ棋士の実力が上がったこともあり、7冠時代に比べると、その強さは相対的にやや薄れているが、やはり圧倒的に強い。
5冠を維持しており、昨秋も王座戦10連覇を達成した。
その強さの理由として、天才少年と呼ばれた頃は「定石にとらわれずに意表をつく手を打ってくる」「相手を上目使いににらむ‘羽生(ハブ)睨み“で相手はヘビににらまれたカエル状態になる」「羽生マジックと呼ばれる逆転勝ちが多い」・・・などと言われたが、果たしてそうだろうか。
プロの実力差は、それこそ紙一重のはずである。
下記は、1989年の日本経済新聞に掲載された本人のコメントである。
「6才で将棋を覚え、小学生の頃にプロ棋士の存在を意識した私は、早熟と言われた。
しかし、将棋の進歩が急ピッチになりつつある今の情報化社会の将来は、6才以下の幼児たちが、どんどん将棋を指すということになるかもしれない。
そうなれば競争はより激しくなり、それにつれて将棋の戦法的進歩のテンポも加速される。
その結果、現在の将棋は10年後には全く通用しないということになりかねない。
そうした進歩に取り残されないためにも、油断は禁物、絶えず前向きな勉強が必要と思う」。
1989年といえば、株式相場が38,915円の最高値をつけるバブル絶頂期。
一方、15歳でプロ4段になり、19歳で既にトッププロ入りしていた本人の年収は、軽くみても数千万円はあったろう。
遊びたい盛りの19歳という年代で、金も地位もある。
加えて周りはバブルで浮かれており、いろいろ誘惑もあったに違いない。
その中で、本人は何を考えていたのだろう。
『人の真価は、危機に直面したときに表れる』という。
しかし実は、『人の真価は、順調なときにこそ表れる』のではないだろうか。
危機の時には、打つ手は限定される。
現状を何とか改善しようと必死に考えるものだし、また、そう考えざるを得ない状態に追い込まれるからである。
しかし、順調なときは、選択肢が数限りなくある。
好きなこと・したいことがいくらでもできるとき、何をするか。
金も地位も名誉も権力もあるとき、いかに自分を見失わずにいるか。
金も名誉も手にした遊び盛りの弱冠19歳の若者は、毎日がお祭り騒ぎのバブルの真っ只中で、自分の本分を忘れずに、謙虚に精進し続けた。
使いきれない程の金を持っていたのに、である。
強いはずである。
紙一重の実力差のプロの間で、頭2つも3つも抜きん出ることができたのは、この自意識の持ちようであろう。
さらに、「多くの人に将棋を愛してもらいたい」と将棋界のことまで考えるのを怠らない。
その想いは、「僕の大リーグでの働きで、少年たちに野球をやりたいという気持ちを持ってもらうことになれば嬉しい」と語ったイチローとも共通する。
タイトルホルダーにふさわしい『想い』。
勝者としての貫禄充分だ。
羽生善治もイチローも、一見ギラギラしたところはない。
淡々と勝負しているように見える。
大欲は無欲に見えるという。
大欲の前では、小欲はどうでもいいと思えるからだろう。
淡々としているように見えるのは、大欲を持っているからに違いない。
いわば『志』というべきものだ。
そして、その志の高さをいかに守り抜くかは、日常茶飯の自己規律にかかっていることをわかっているのだろう。
箸の上げ下ろしから、物の言い方・人とのつきあい方・息の吸い方・酒の飲み方・遊び方までの全てにおいて、その志を守り抜く意識で貫かれていなければならないということだ。
ただ謙虚に頑張って成功するのであれば、誰も苦労はしない。
大欲を持てるか否かが、成功するかしないかの分かれ目であるとすれば、成功するには大欲を持たねばならぬ。
どんな大欲を持つか。
現在31歳になった羽生善治氏は、次のようにコメントしている。
「今後の10年間は、棋士としていろいろ難しい時期になると感じている。
直観力や記憶力は、10代・20代に比べて落ちるだろう。
しかし、この10年間の経験を盤上で生かしていく方法は必ずあると思っている。
惰性に流れず、将棋をどこまで極められるか、行けるところまで行きたい、と考えている」
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